白い街 名古屋 |
昭和42年、石原裕次郎の「白い街」ですっかりイメージの定着してしまった名古屋。 先週、母が名古屋市立病院に入院して今朝は付き添いの寝床で目が覚めました。名古屋市立大学病院はいま全面的に改築中で、まず入院病棟が17階建てに新しくなってます。この写真は14階の病室から名古屋市の東方面を望んだものですが、夜明けすぐ、曇り空と言うこともあり、本当に「白い街」で驚きました。もっとも良く見ると鎮守の杜らしきものがそこかしこに見られるし、樹木が少ないわけではないのでしょうが、十分な陽光にを受けていない街の景色は白一色といった趣です。 昭和42年頃といえば、戦後の混乱期も過ぎ、名古屋の街の道路整備も大体ひと段落つき町並みが整ってきた頃と思えます。ただ、広い道路の割に街路樹などの整備、生育が追いつかず「白い街」というイメージになったものと思えます。裕次郎の歌は「この道の はるか彼方の 雲流れる下に 幸福がある ああ 久屋通りの花時計 花に遺した きみの微笑み 白い街 白い街 名古屋の街」となっていますが、今の久屋通りは都心部にこれだけの緑がある街は他には無いだろうと思えるくらい樹木が整備されています。だから、「白い街」というイメージは中年までの人達のもので、今の若者に名古屋の街を色に例えれば?というアンケートをとったところ、「緑」という答えが一番多かったと言う話もあります。 何時もと違った時間に、何時もと違った視線からものを見るというのは、新鮮な驚きをもたらしてくれます。 そうそう、母の病状は心配したものではありません、今のところ貧血が原因の軽いめまいと言うことです。ただ、もう少し検査が有るようです。でも、年寄りには自宅が一番良いみたいですね。 |
by hot_amigo
| 2006-01-30 11:08
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